48歳samids日記
アメリカのラスベガスより。ニューヨウク周りで、フランクのボスと、帰国とた、秋頃でした、古き時代の遊覧船で、
スカンジナビヤ号と言った、5000トンもの大きさで、会社としての初めての輸入で、東急関連の東海観光会社に
引渡し改修をして、伊豆の三戸浜港に、海上ホテルとして開業していました、裏伊豆の名所となり、若者のラブホテルに利用されていました、結婚式場としても、と帰国してから、聞きました、4年も前になりますか。
続いて、松下電器の広告船と、ボスの売り込みで、米画のションコネリーがジャネットリーとの逢引の船として使った、ナタリー号なる、華麗なる船を売り物にしての交渉で注文を受けての商売を済ませてのことで、家電も、三種の神器も、行き渡り、次はと、考えていた、電子レンジでした、ナタリー号の甲板を利用しての電子レンジの料理教室を、各港で、日本の近代化された街の港にもやって、料理教室を開き、宣伝しました、TV、にもナタリー号の優雅な姿が映り、1年間のリースでしたが、何百万台もの売り上げを上げたと、松下電器の係りより聞きました。
この時代はパブル景気で、藤田工業より発注で、ホテルになる船と、年末になって、ロンドン行きでした、カタログがあり、注文は決まっていました、フランクスから、引取りの係りが三名が決まり、FITの社長が、溝口さんで、同行しました、内妻の悦子さんが、ロンドンで知人の家に居候しているので迎えに行くから、ロシヤ周りの飛行機で出発しました、モスクワ継由で、五時間は早いのです、料金も格安でした、まだソレンといったのかな、旅客機のスチアーデスが、半長靴をはいている、女子兵でした、お尻のデカイ事、美人ですか、経験が無く笑ってしまいました。
年が明けて、49歳ですか、昭和49年でした、ロンドンについて寒さを感じました、不思議と、芝生がグリンなの枯れた芝生がないのね、前に、ナタリ号、時と時期が同じでしたので、同行した、社員の孝夫ちゃんと、ゴルフに行きましたが、セントアンドリーフは、芝は枯れていました、それよりも、溝口さん、お父さんが住友海上保険の社長だったので、ここの住友保険の役員がイギリスの人で、この方の家に悦子さんがいるのよ、先ずはと、その方のお家に
迎えに行きました、洋館建てのお家で、客室が三室あり、中流の家庭ですか、悦子さんが出てきて、パパさんと、抱きつきました、挨拶ですか、そう、寂しかったの、これからの、日記は、別ページに記載してあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・http://fukokuclub,net
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コメント
昭和の時代から、生きている生涯を日記にしているが、
俺の年齢で昭和がわかる、変わり行く東京、
50歳で異変が起きた、フランクスのボスが急死した事。
投稿: フコク倶楽部 | 2009年6月14日 (日) 16時52分